なにわ猫町 にゃんダンゴ家。 猫と家族と人生を語れば・・・ とかく人生(にゃんせい)は けせらせら。 

母という存在

母という存在


     子供の頃から、
     私にとって、母は不思議な存在だった。
     たぶん、今まで人生で出会った中で、
     最も自分の理解を超えていた人かもしれない。

     それはたぶん、母と社会との関わり方が
     あまり人間らしくないというか、
     どこか枠から外れているというか、
     そんな印象を受けることが多かったからかと思う。


     私が見る限り、
     母は"友達"らしきものを全く必要としない人だった。
     家族以外との人間関係を
     自ら進んで作ることはなかったし、
     そもそも、
     人の行動をプラスの側面から見る
     ということもあまりしない人だった。

     一般的な親が子供に説くような道徳心や良識を
     私は、自分の両親から教えられた覚えがない。

     「勉強しなさい」という言葉も
     殆ど言われた覚えがない。

     ただ、そのかわり

     「あんたは人がいいから、すぐ利用される」

     というような批判をされた。

     そんな理由で叱られるのは、私にとっては理不尽に思えた。

     仲の良い友達との間に別の友だちが加わって
     3人で行動するようになった時は、

     「あんた、気ぃつけんと友達取られるで」

     と忠告された。

     友達を取るとか取られるとかいう発想が
     私には理解できず、
     母との価値観や感じ方のギャップは、
     しばしば私を悩ませた。


     でも、それよりも何よりも
     子供の頃一番嫌だったことは、
     父と母の仲が悪いということだった。

     日常的に繰り返されるゴタゴタは、
     喧嘩というよりは、
     母から父への責め苦のような図だった。

     過去に何があったのか、
     それが事実なのか母の思い込みなのか、
     私や妹に事実はわからなかったが、
     日常の何気ない父の失敗(たとえば醤油をこぼした、など)が、
     母の怒りの導線に火をつけるのだ。

     そこから母の執拗な責めが始まる。
     話は過去へ過去へと遡り、
     父が部屋から逃げ出せば、後を追いかけて責め続けた。
     しまいに父親が手を出すと、
     負けじと掴みかかって、取っ組み合いになった。

     私も妹もその光景を見るのが嫌で嫌でたまらなかった。
     でも、そんな時の母はパラノイアのようで周りが見えず、
     私たちの「やめて!」という声なんかでは止まらなかった。

     これも何が真実だったのかわからないが、
     被害妄想のような状態で、近所の家とトラブった時も、
     パトカーが来ても、
     ヒステリー状態の母の怒りは収まらなかった。

     そんな時の母には理屈は通用せず、
     周りにどう思われようが
     なりふり構わぬところがあった。


     ただそんな一面とは裏腹に、
     母には全く違う面もあった。
     おっとりとした、一見 "天然" のような一面である。

     それゆえ、友達なんかからは
     母は「優しそうなお母さん」に見られた。

     実際、高校に入学した当初、
     部屋で通学カバンをぺっちゃんこに改造していたら、
     母が覗きに来て、

     「なにやってんの? 大変そうやね 」
     「手伝ったげよか~?」

     と、おっとり呑気な声で言われたことがある。

     いったいどこの親が
     そんな手助けを子供に申し出るだろう?

     友達が親に隠れてやるようなことも、
     拍子抜けするくらい、
     ウチでは殆ど咎められることもなかった。


     確かに、自分の娘たち(私と妹)に対しては
     無償ともいえる愛情を注いでくれたのは事実である。

     もちろん、コントロールできない
     理不尽な感情をぶつけられることも多々あって、
     触りどころを誤ると爆発する爆弾のような
     母との関係は決して楽なものではなかったけれども・・・


     ただ、そのおっとりとして、
     まるで子供のような一面を持つ母に、
     私は人生のところどころで、
     "菩薩"のようなものを垣間見ることがあった。


     そんな時は、

     「母によって救われた」

     という思いを抱くと同時に

     「いったいこの人は何者なのだろう?」

     という、不思議な思いに囚われた。


    
     私にとって、母という人は、

     "おっとり" と"ヒステリー"の両面を併せ持ち、

     "修羅" と "菩薩" の相反する顔を持つ、

     最も不思議な存在だったのだ。



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