はじめに解体ありき - part2 -
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はじめに解体ありき - part2 - ~かたちのない物も壊れる~
このようにして、ダンゴたちによって壊された物は枚挙にいとまがないが、
実は壊れるものは物だけではなかった。
パジャマ着脱法
シュウが保育所児の頃のことである。
パジャマをすぐに裏返しに脱いでしまうので、
「裏返しに脱いだら着るときにまた表に返さなあかんやろ」と注意したら、
(冬は2日位続けて同じものを着ていたので)
「え? 着れるで」と涼しい顔で言う。
そして脱ぎ捨てた裏返しのズボンを手に取り、そのまま裾口から足を突っ込んだ。
しゅるしゅる~っと腰まであげて、はい、完了。
上着も袖口からしゅるしゅる~っと首突っ込んで、はい、完了!
あっという間に着てみせた。
「ほんまや!!」と思わず母は叫んだ。
ひぇ~っ! まさに、ビデオ逆回しやんか。
目からウロコの感動!を覚えた母であったが、
同時にうろたえた。
世の大人たちはみんな知っているのだろうか? この裏技を・・・
もしかして、知らなかったのは私だけ・・・とか(汗;)
こんな年になって、これくらいのことで、
これほど感動している大人は私くらいかも???
と思うと、誰にともなく恥ずかしかった。
変幻自在
別々のおもちゃのパーツを組み合わせて、新しい遊びを考え出すのも
シュウはお手の物だった。
たとえばローラーコースターとプラレールを合体させて、
途中にフイルムケースやプラケースのようなものをかませる。
コースターの上からビー玉をころがすと途中のフイルムケースに落ちて止まるが、
フイルムケースの半径より大きいスーパーボールだと、落ちずにスルーして
プラケースまでたどりつく。
うぉ~! ちゃんと考えてるんや~
おもちゃだけでなく、ハンガーや洗濯バサミのような生活用品も、
しばしばシュウワールド建設の材料となった。
おもちゃひとつの遊び方にしても、いったい何通りの遊び方を編み出していただろう。
「パクパクお魚釣り」というおもちゃがある。
釣糸の先にマグネットのついた釣竿で、
口の中にマグネットをしこんだ魚を釣り上げるというおもちゃである。
ターンテーブルのような池(の穴)に、たこ焼きのように魚をいっぱい入れる。
スイッチオンすると、魚の口がパクパク開いたり閉じたりするので、
開いたすきを狙って釣り上げるというわけだ。
このおもちゃだけでも、何通りもの遊びをしていたものだ。
魚は釣り上げられる以外にも、
食材になり、池はコンロになり、料理が始まったかと思うと、
魚は実在の友達に見立てられ、敷居の上に並べられて、
なにやらグループ分けされてみたり・・・と、
よくまあ、いろいろと思いつくものだと感心したものだ。
どちらかというと、正規の遊び方より
イレギュラーな遊びを考え出す方が多かったかもしれない。
種なしぶどうの食べ方
食べることもまた遊びのひとつだった。
シュウが保育所児の頃、種なしぶどうの食べ方はこうだった。
四角いステンレスの小皿の上に、ブドウを皮から出しながらぎっしり並べる
↓
皿を子供用の椅子の上に置く
↓
おもむろに四つん這いになって皿に口を近づける
↓
一気に吸い込む!
普通は行儀の悪さを叱らなければいけないのかもしれないが、
あまりの圧巻ぶりに、
というか、次は何をやらかすのかと思うと興味津々で、
止める前にとりあえず見てみたい欲求にかられるのだった。
よって叱るタイミングは、よその家に比べると、
かなり遅きに失することしばしばだった感がある。
ほかにも、”ヨーグルトを食べる前にストローで吹いて泡立てる”
という技もあったが、
これは、遊びに来ていた保育所の女の子たちに
「おもしろいからやってみ!」と熱心に勧めるも、
ドン引きされていたのが印象的だった。
幼い頃から、女の子は男の子の何倍も大人であるらしい。(^_^;)
100マス計算の謎
極めつけは、とことん勉強嫌いなツバメのおどろき要領技だった。
保育所時代、何かと素行に問題が多く、一時はADHDを疑ったほどのツバメ。
そもそも人と足並みを揃えることができない。
就学後も勉強・宿題は言われてもやらないツバメに学習障害を多少なりとも疑い、
教育関係の職場に勤める、シュウの同級生のお母さんにチラと相談してみた。
すると「100マス計算がいいよ」と勧められた。
で、ためしにノートを作ってやってみた。
簡単な足し算・引き算から。
最初は一応計算していた様子のツバメ。
しかし、気が付くとなんだかスピードが速くなってる・・・?
よく見ると、なんと!
とんでもない裏技を使っていた!
その説明がちょっとむずかしいな~と思っていたら、
ちょうどうまく説明してくれている記事をこちらに発見!
ちょっと使用させて頂きます。<m(__)m>
↓ ↓ ↓
http://malt.seesaa.net/article/5801494.html
要するに、一番上の行からまじめにやらなくても、
0の行→1の行→2の行の順にやっていくと、
前の答えに1を足す(或いは引く)だけで、
まともな計算をしなくても答えが出てしまうのだ。
何がびっくりしたと言って、
普段勉強がとんとできないツバメに
そんな機転がきくんだ!ということにだった。
ほんまは賢いんちゃうの!?
と疑ったほど、こと”要領をかます”(これは関西弁かな?
要するに早く終わるために手を抜くというような意味)ことや、
ほしい物をすばやくgetするためになら、
すばらしく頭が働くのがツバメだった。
結局、バカらしく感じたのか、
そもそも教育熱心でもない親に根気がなかったのか、
100マス計算はまもなく頓挫した。
今から思うと、宿題もまともにやらないツバメが
なぜあの時、親に言われて100マス計算をやる気になったのかは
そういえば不思議な謎である。
そう、子どもたちに壊されたものは決して物だけではなかった。
他に壊されたもの・・・それは私の頭だった。
常識とか思い込みとかいう、目には見えないもの。
それをダンゴたちは、いとも簡単にハンマーで
日々叩き壊してくれた。
そして私には昔から、自分の頭を叩き壊してくれる存在を
こよなく愛する習性があった。
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