なにわ猫町 にゃんダンゴ家。 猫と家族と人生を語れば・・・ とかく人生(にゃんせい)は けせらせら。 

はじめに解体ありき - part1 -

子育てエッセイ

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はじめに解体ありき - part1 -  ~かたちある物は壊れる~


「壊れる」という現象


私の育った家庭は四人家族で、父・母・私・妹という家族構成だった。
男は父一人だったが、いわゆる「男っぽい」タイプではなかった。
なのでそもそも家の中に男の子がいるという環境に対して免疫がなかった。

今でも「男の子3人のお母さんには見えない」と人からよく言われるが、免疫がなかった私にとって、
この予期せぬコウノトリからの3色ダンゴのプレゼントは、
それはそれは新鮮な驚きの毎日を私に与えてくれた。

おそらく驚きの洗礼は、「やたらと物が壊れる」という現象だったように思う。

もちろん「男の子は女の子に比べて行動が激しい」くらいの世間的な認識は私にもあった。
しかしそれにしても、"やたらと"である。
それによく観察してみると、「使い方が荒い →(ゆえに) 物が壊れる」という一般的な図式以外の現象が、
どうもわが家では起こっていることに気が付いた。

「壊れる」だけでは説明のつかない現象、
それはどうも「壊す」それも「あえて壊す」という現象だったのである。


裸足のチョロQ


「チョロQ」というミニカーがある。
床の上などで少し後ろ向きにタイヤを回転させて手を離すと、ピューと走るあの車のおもちゃである。

不思議なことにうちのダンゴたちは、ものごころつくやいなや
3人が3人ともチョロQのタイヤはずしに執心した。
あのちっちゃいゴムのタイヤを片っぱしからはずしにかかるのである。
それもくちでである。
幼くおぼつかない手先よりくちのほうがよっぽど使い勝手がいいのだろうが、
見事な早業で次から次へとはずしていく姿を見ると
「こいつら前世は人間ちゃうかも・・・」と疑いたくなるほどである。

気がつけば裸足のチョロQとゴミのような小さなタイヤがあちこちに散乱することになる。
この小さなタイヤを再び履かせる作業がまた面倒なのだが、
当然のことながらダンゴたちは履かせることにはとんと興味がない。
もちろんそんな技術も持ち合わせてはいない。
みすぼらしい車体と、このまま放置すれば確実にゴミとなるであろうタイヤを
見るに見かねて仕方なく母が元に戻す。
するとまたやられる。
このいたちごっこで最終的に音を上げるのは母の方である。

かくして家中のチョロQはすべて裸足となり、
タイヤたちはいつしか行方知れずとなるのであった。

三男坊のユータが物心ついた頃には、兄のシュウとツバメはもうこの遊びを卒業していたので
誰のを見たというわけでもないはずなのに、やっぱりユータもやった。
恐るべし、" 呪われた血筋(当然父方の…) "というほかはない。

更にユータは安物のプラスチックのミニカーなどは、ゴキゴキとよく噛み壊していった。

歯固めのつもりかしらんが、怪獣かよ~~

かくして、トミカやチョロQなどのミニカーに限らずたいがいのおもちゃは、
ダンゴたちが触ればたちまち新品も中古と化し、こぎたなくおもちゃ箱の中に山積みとなるのである。

たまによそのお宅にお邪魔して、ピカピカのミニカーを目の当たりにした時の母の驚きは半端ではない。


おぉー!! 世の中にはこんなにお行儀のいい男の子もいてるんや~

そして改めて当たり前の事実を認識するのであった。


結論:男の子にもよる!


悲しき手作りおもちゃ


それでも「遊びながら壊す」ならまだいい。
母として是非とも避けたかったのは「遊ぶ前に壊す」という現象であった。

ツバメが保育所の1歳児クラスにお世話になっていた頃、
懇談の日に「子どもと遊ぶ手作りおもちゃを作ろう」という企画があった。

まず洗濯用洗剤の箱の蓋の部分に手を入れる丸い穴をあけ、かわいい柄の布やレースを貼りつけて飾る。
次に何個か用意したフイルムケースの中に、クリップとか鈴とか、振ると音が鳴るものを種類を変えて入れる。
それからフィルムケースの蓋と本体を色々なカラーのビニールテープで開かないように貼り付ける。
このフイルムケースを箱の中に入れ、子供が取り出して振って遊ぶと色々な音が楽しめるという想定である。

しかしながら、想定とは覆される。
案の定、目を爛々と輝かせたツバメは、フイルムケースをつかむなりさっそくカラーテープはがしにかかったのである。


「ちがうって!こうやって振って遊ぶんやってば」

と振って見せるが、そんな遊びには見向きもしない。
ますますムキになってテープはがしに挑戦してくる。
母としては遊ぶ前から解体されるのは避けたい。
せめて1回くらい遊んでくれ~
いやあんたにとってはテープはがしの方がおもしろいのはわかってる。
遊びに決まりがないこともわかってる。
でもいきなりバラバラ事件とは悲しすぎる~

かくして「なかなか可愛く仕上がった」という母の自己満足は瞬時にして打ち砕かれた。
されるがままに手作りおもちゃが残骸と化していくのを、母はただ眺めるほか術を知らないのであった。


もったいない工作付録


紙の工作付録が付いている子供向けの雑誌がある。
たまにシュウがほしがるので買うことがある。
本当はシュウだけに買い与えたいが、ツバメが黙っているはずはない。

しょうがないので渋々同じものを与える。
作り方をシュウに教えている間に、ツバメは紙の付録をどんどんちぎっていく。
母の説明など聞いちゃいない・・・というか待っちゃいない。
当然形として残るものが完成することはない。
残るものはまたしても紙の残骸だけである。

それでもツバメ本人はとんと気にしちゃいない。
母だけが「あ~もったいない」とため息をつくばかりである。


世界は実験場?


私と妹を育てた母は言った。
”あんたらを育ててる時は、横に置いて編み物ができた”

母をして、信じられないと言わしめた荒くれぶりである。

子供らを横に置いて、落ち着いて何かをするなど想像もつかない。
絶えず好奇の目をランランと輝かせて獲物を狙っている輩たちである。
私がちょっと物珍しい物を触っていると、
「それ、なに!?」と隣の部屋からすっ飛んでくる。
油断も隙もありゃしない。

それほどに男子と女子の行動様式が違うということなのか?

なにせ、わざと階段からおもちゃを落としてみるとか、
ビデオデッキの挿入口に物を突っ込んでみるとか、
(それも故障修理の際にボールペンやらいっぱい出てきて気づくのだ)
そのうち襖は開けなくても通り抜けられるようになってたりとか
(既に子供約一人分の大きさの枠組みが破壊されている)
まるで世界は実験場とばかりに物が解体されていく様は、
今まで”物は大事に取っておく”人生を送ってきた私には、とにかく衝撃的だった。




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